サイコロを振って何マス進めるか。
最終的に一番にゴールすれば勝ち。
又は、順位を競う。
サッカーの育成に例えると・・・
現在の技術レベルの位置から上方への移動と考える。
上方へ、何マス進めるか。
1日の練習で何マス進めるか。
自主練習で何マス進めるか。
練習試合で何マス進めるか。
公式戦で何マス進めるか。
指導者を30年間やってきて、ソルセウを20年間やってきて、その経験を伝えたい。
あくまでも私の私見。
別の考えがあるものと争う気も無し。
先ず、個々の選手のゴールはその選手毎の自己最高到達点を設定する。
どれだけ高いところに設定できるかは、生まれ持った性能とそれ以上に素直さや努力という才能がモノを言う。
これはどんな指導者に出会い、どんな環境で育成され、どんなに頑張れたかも大きく影響する。
また、その選手がサッカー以外で家庭やその他の環境で素直、元気、明るい、感謝がどれだけ育まれたかも大きな要因、逆に言うと言い訳をしたり人のせいにする習慣を持っていると、このゴールがドンドン低くなる。
小学3年生くらいで選手を見たときに、おおよその未来の姿が見える。
それ以上にする様に関わるのが私の頑張りであり見せ所である。
想像以上に成長する選手はやはり素直である。
しかし、よくある例で親が子どものサッカーに躍起になっていたり、家で色んなプレーや勝利を要求していたりすると思った様に伸びない傾向がある。
これは今までの各学年に共通する事である。
小学生年代が上手くいっても、その後の成長が信じられないほど止まっている場合もある。
(この件はいつまで経っても無くならないし、子どもの世界に踏み込む保護者の方に共通するのは皆さん子どもの為と言われているということ。)
※静岡県の強豪校静岡学園のFacebookの記事に参考になるものがあったので別途記載します。
ソルセウは元々勝つ為に発足させていない。
だからスローガンが『未来を夢見て』なのだ。
『勝つことよりも技術向上』
『最強よりも最高』
『良いサッカー選手である前に良い人間であれ』
『18才で爆発』
このテーマはスローガンと共に大切にしてきた要素である。
城陽市に5チーム目を発足させるに当たっては相当な覚悟と決意を要した。
発足当初は個人技に偏った指導をしてきた。
サッカーと呼ぶには少し違う試合風景が表現されていたように思う。
「持ちまくれ」はいつもの掛け声であった。
もちろん勝ち負けは全く気にしない。
でも選手達はこんな指導の中で「俺らはやりますよ!」って自信満々だった。
1期生全て1回戦敗退、2期生全て1回戦敗退。その頃のことである。
3期生でサッカーで関西大会進出、フットサルで全国大会進出する訳だが、発足当初の2期生以降の初期の選手は高校年代で大活躍している。
最近の数年間は世界的にポゼッションサッカー(ここではパスサッカーと理解してください)が主流になり、選手達が上のカテゴリーでその様な要素が必要になるだろうと指導に取り入れてきたが、どうもOBの活躍が過去よりも小さくなっている様に思われる。
バルサの育成組織カンテラで指導されていた方に何回も直接指導を頂いたので大きく間違った指導はしていないはずである。
それこそ自分のスタイルを消してまで、教えて頂いた事に忠実に指導を重ねた。
確かに間違っていなかったし、とても効率良く勝利を重ねる事も出来た。
しかし、自分の中で他のチームとの違いが薄れてきた様に思われた。
他のチームと同じではダメという意味ではなく、ここで言いたい事は何よりも個人の育成に特化してチームを立ち上げたのに個人が過去ほどに目立たなくなった事に自問自答し、再度個人に特化した育成をしなければならないと答えを出したという事。
OBに高校年代で大活躍してほしい。
個人を特化して育成してきて、次にポゼッションの中で個人技を出せる様に育成しようとしてきたが、思った試合風景にはならなかった。
私個人の考える良いサッカーはやはり個人の技術がしっかりとした上で仲間と協力してプレーする事が大事だという事。
ドリブルもアイデア、パスもアイデアであってほしい。
特に小中学生年代でシンプルであったり、勝つための戦術重視のサッカーでは子どもの可能性を小さくしてしまうのではないかと心配している。
育成はスゴロクである。
本当のスゴロクと育成のスゴロクの違いは目に見えないところである。
勝ち続ける事で進んでいる様に見えて、実は進んでいない場合がある。
前に進むために『1回休み』や『何コマ戻る』があってもいいと思う。
だけどいつもそれは駄目。
根性も大切だけど、もっと大事な質を伝えなければならない。
大声を出さなくてもしっかり育てる腕は持つべき。
私たちは大事にお子さんを預かっている。
子ども達の将来を任されている。
その責任を喜びに変えて一生懸命頑張ろう。
『未来を夢見て』