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oneself

仲間

2013-11-22
FC solceuの子ども達がワイワイ楽しくサッカーをやってくれている。
スパルタでない我がチームは大人の圧力そのものや、勝ち負けに対しても圧力をかけないので子どもの表情は険しくない。

でも、ふと思うことがある。
というか・・・感じる事がある。

この子達は本当に仲間なのか。
ワイワイ楽しくやっいるけど、楽しければ代わりの人間でも良いのではないかと。

子どもは初対面でも直ぐに仲良くなれる。
それは子どもらしくて素晴らしいことだ。

しかし、長い年月をかけて本当の『仲間』を作れているのか。

FC solceuでサッカーをやる。
そこで、家でもクラブでも仲間意識を大切にする教育を受けているのか。
子ども達は環境に左右される。

私たちが子どもの頃、親は『友だちを怪我させたらアカン』と教えられた。
今は、全てではないが『あんたは怪我したらアカンで』と教えられているらしい。
昔の親は子どもの『生き方』にうるさかった。『結果』より『生き方』だ。


サッカーゴールを子ども達だけで運ぶ時、チーム発足当初の頃は重たくなったり危険な時に、大きな声で「ちゃんと持てや~」と言って真っ赤な顔をして手を離さなかった。
最近の子どもは重さに耐えられなくなる前に、危険になる前に、手を離す。
だから、手を離さなかった子どもが危険にさらされる。
これが『あんたは怪我したらアカンで』かもしれないと思う時がある。

サッカーというチームスポーツは『仲間』作りの絶好の場だ。
世界が興奮するサッカーというスポーツは複数の選手によるスペクタクルなプレーを見せてくれる。
個人が輝けるのも仲間がいるからだ。

そこで、『サッカー』と『仲間』というキーワードが生まれる。
『サッカー』というキーワードだけで活動ですると良くない事が起こる場合がある。

「Aチームに入りなさい。」
「◯◯君に負けるな。」
「レギュラーになりなさい。」
子ども達の中には段々窮屈そうに通い出す子がいる。
だいたい4年生くらいからが多い。
そういう子は後々伸びなくなる。サッカーも仲間作りも残らない。
そういう子をたくさん見てきた。
親御さんにメッセージを送っても届かない。
自分ではない『子どものサッカー』に必死だから。

「サッカーチームだからサッカーだけ教えてくれたらいいのに」という保護者がいる。
FC solceuは人間ヂカラ、生活ヂカラに厳しいからだ。
良かれと思ってサッカーでの勝利を目指したとする、コーチも親も子どもの勝利以外に興味を持たなかったとする。
子ども達は5年生くらいから客観的に大人を見るようになる。
そして6年生になる頃には「俺たちより親の方が全国大会に行きたいんです。」と言う。
実際に聞いた。
どっちが大人か分からなくなった。
その時、その子達にとってサッカーはあまり面白いものでは無かったみたいだ。

ライバルも存在しないかも。
ライバルは『好敵手』。
仲が良くて競争するから『好敵手』。
だからお互いが伸びるというか伸ばし合う。
競争が楽しい。

あいつに負けるなと言われている子ども同士は仲良くなれない。
『悪敵手』とでも言おうか。
お互いに伸びない。
親がそこまでの勝ち負けを求めている。
だから伸びない。

もう一つのキーワードの『仲間』で活動するとする。
『仲間』がいるから頑張れる。
『仲間』がいるから楽しい。
これを勝ち負けより優先出来るのか?と思う。

結果的には『仲間』ヂカラはサッカーの結果にも大きく左右する。
試合においても大事な力だ。
練習も頑張れる。
チームが好きになる。

何よりも『人間』が好きになる。

親もコーチも子ども達に、良い人間になって欲しいと願う。
サッカーと人間を切り離して考えてはいけない。
サッカーというチームスポーツが持つ力。
そこに含まれた魅力に注目してほしい。

子ども達は親の満足やコーチの満足のために産まれてきていない。
自分の人生を謳歌するために産まれてきた。

子ども達がこの仲間と一生いたい。
今は気が付かなくても大人になって、なぜかずっと一緒にいた仲間がいてくれれば嬉しい。

大人が子どもを見守るというのは、こういう事だと思う。

この間、1年生の練習で最初の円陣に遅れてきた子が、練習に入れなくなった。
遅れてきたことを気にしていた。
円陣にいる1年生にその子を呼んできてくれと頼んだ。
でも来なかった。泣いて動かなかった。
次の休憩時間に1年生がその子を呼びに行った。
勝手に自分たちで呼びに行った。
3回目くらいの休憩でその子がやっと練習に参加した。
その子に「みんなが呼びに行ってどう思ってたの?」と聞くと「嬉しかった」と言った。
幼い子ども達がやった小さなドラマ。
そんな事を大事にして心もか身体も育てていきたい。

『未来を夢見て』