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☆震災支援に行って

2011-04-06
2011年3月中旬に震災支援として岩手県に行ってきました。
震災が起きて一週間後です。
テレビでは何回もその場面、その後の場面を見ました。
そして二日間掛けて岩手県に向かいました。
行きの東北の高速道路は緊急車両のみの通行となっていたので、他の震災支援の車や米軍の車両と共に被災地に向かいました。
高速道路では少しの段差が、かなり響いたように思います。サービスエリアも断水や地震の被害で閉鎖されている場所もありました。
岩手に到着し、我々の拠点となった盛岡市は震災の影響は少ないものの、ガソリンスタンドにはガソリンや灯油を求める自動車が何キロも並んでいました。そしてその日の内にガソリンを買えなかった自動車は閉店後も路上で並んで朝まで待っています。
どこにでもあるマクドナルドやケンタッキーフライドチキンはドアに『物資が届かないので閉店します。』と開いていませんでした。

そして、支援現場へ向かいました。

被害の跡がある地域に進入すると、ガレキをとりあえず両側へ寄せた“道路”を走りました。
給水車を先導して目的地へ向かいましたが、途中で国道から国道への道を間違えてしまいました。とにかく急いで戻って目的地に向かいましたが、道を間違えた理由に気がつきました。その交差点の“信号”“標識”“案内板”が全て津波に流されていました。
途中のトンネルも電気がついてなくて真っ暗でした。その長いトンネルをリックサックを背負った人々が歩いていました。車が通過しなければそこは真っ暗です。
また、幼児用の自転車に大人の人が乗って国道を移動していました。全体の風景を考えれば違和感は無く、現地の皆さんは今あるもので、精一杯生活されていました。

被災地になっている、ある小学校に給水に行きました。

皆さんは、元気にそこで生活されておられ、力強ささえ感じました。
我々の車の京都ナンバーに気づかれ、年配の方が寒い中自分のニット帽を取って「京都からですか・・・、ご苦労様です。」と話しかけられたときは、こちらが泣きそうになってしまいました。
住宅地での給水は直ぐに人だかりになり、大家族のお母さんは何回も何回も水をもらいに来ていました。
同じく京都ナンバーに気付きお礼を言われました。
皆さん大変な状況の中でも温かさを忘れておられませんでした。

手付かずのガレキの山、河に流れ込んで数珠つなぎになっている家、何もかも無くなってしまった海岸沿い・・・

おそらく、元通りになるにはこれから何年もかかるでしょう。

最愛の人を・・・住む場所を・・・失った人がたくさんいます。
僕たちのできることやりたい。

個人個人で、スポーツをしている私たちで、力を合わせてできることがあるはず。

みんなで、人として、力になっていこう。